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青木仁志氏インタビュー
[更新日2010/09/15]
「頂点を目指す生き方 ~世界最高峰の人材教育コンサルティング会社へ~」第1回
聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎
 1987年、人材教育コンサルティング会社「アチーブメント株式会社」を創業した青木仁志氏は、目標達成のプロフェッショナルとして19年間にわたり「戦略的目標達成プログラム『頂点への道』講座」を連続500回以上開催し、2万人を超える方々の研修をしてきました。インタビューでは、青木氏の人生の歩みを振り返っていただきながら、人生哲学や信念、アチーブメントの経営についてお話いただきました。
■17歳、溶接工見習いからのスタート
― 『一生折れない自信のつくり方』のなかにも書かれていましたが、17歳で社会に出られてから20代前半の頃まで、人生についてどのように考えながら日々過ごされていたのでしょうか。
 17歳の春に高校を中退し、そのまま社会に出たのですが、3歳で両親が離婚して、義理の母に育てられ、小学校を4回も転校しており、どちらかというと痛みを経験した子供時代でした。何とか生みの親に会いたい、北海道の環境から抜け出したいという気持ちが強かったんです。だから、向上心があってとか、成功を目指してとか考えて社会に飛び出したわけではなく、生みの母親を探すために家出をして、履歴書のいらない溶接工見習いとして社会に出たんです。本当に家出少年みたいな感じでした。
 じゃあ、どこで変わったんだろうって、『一生折れない自信のつくり方』でも自分なりに分析してみたんです。思い起こすと、そんな私を救ってくれたのは、再会した生みの母親でした。私は家出する直前まで北海道のおじいさんに預けられていましたので、家を飛び出してから、たった1枚だけおじいさんに葉書を出しました。「突然家出して悪かった。母親を探すので、自分のことは探さないでくれ。見つけたら連絡するから」という内容でした。その葉書の消印が八王子だったんです。その消印から、私が八王子の鉄工所にいるらしいという噂を便りに、生みの母親が、おじいさんから送られてきた写真を現像して、「この子を見たことないですか」と鉄工所を一軒一軒回ってくれたんです。半年かけて八王子市内を探し回り、8月になって、遂に私を探し出したわけです。
 それは私にとって本当に衝撃的なことでした。私が母親を探しに行くはずだったのに、母親の方から探しに来てくれた。母親にとっても奇跡でした。私がどこにいるか、全くわからなかったわけですから。それを、叔父さんと二人で、とにかく歩いて歩いて遂に探し出した。多分、変わったのはそんなきっかけですね。それまでは、何のために生きているのか、何のために生まれてきたのか、これからどんな人生を生きていくのか、全く軸のない自分でした。でも、母親がわざわざ自分を探して訪ねて来てくれたときに、母親に愛されていると感じることが出来たんです。人間として、存在して構わないんだと思えるようになりました。
― お母さんと再会してからの暮らしは、いかがでしたでしょうか。
 母親と暮らすようになってしばらくの間は、仕事を転々としました。ダメ人間のパターンですよ。何か気に入らないことがあるとすぐ仕事を辞めてしまう人間でした。人間関係が少しうまくいかなかったり、嫌なことを言われたりすると辞めてしまい、なかなか続かなかったんです。本当にいい加減だったし、成功の「せ」の字もまったくありませんでした。
 その後、母親と一緒に喫茶店を始めました。その喫茶店を一緒にやっている頃、お箸を納入していた会社の今津さんという社長との出会いが私の人生を変えたんです。社員が休みだったので代わりに納品に来られたのですが、すごくかっこ良かったんですよ。キャデラックに乗っていて、私は成功者のイメージを持ったんです。華やかな人でした。それから今津さんとお付き合いするようになって、「さとし、一緒にやるか」と誘っていただきました。母親と一緒に喫茶店をやっていたので、「今津さんのところで仕事がしたい」と相談したら、母もいいんじゃないと言うので、今津さんのもとで働くことになりました。
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