青木仁志氏インタビュー
[更新日2010/09/15]
「頂点を目指す生き方 ~世界最高峰の人材教育コンサルティング会社へ~」第1回
聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎
■「礼儀をわきまえること」が基礎教育だった
― その会社で、どのようなことを学ばれたのでしょうか。
そこではいわゆる丁稚奉公です。まさに手取り足取り、徹底的に教育されました。例えば、喫茶店で「さとし、何食べるんだ」と言われて、「社長は何食べるんですか」と聞き返す。「俺はハンバーグライスにしようかな」と言うから、「じゃ、社長、僕も同じでいいです」と答えたら、「馬鹿、同じとはどういうことだ。目上の人間といるときには、1ランク下げろ」と言われました。何事に対しても、礼儀に厳しかった。いつも、礼儀をわきまえた営業をしなければいけないと言われていました。これが私の基礎教育でした。そんなことは、それまで誰にも教わったことがなかったんです。
今津さんは、一度人に騙された経験のある方で、人生をリセットしてやり直しをしているプロセスでもあったんです。だから、人に対して良い意味で非常に厳しかったし、二度と同じ失敗を繰り返したくないという気持ちを持っている方でした。当時は会社を興してまだ日が浅く、少人数で一生懸命やっているときでしたので、マンツーマンで徹底して教育してもらいました。一度、焼け火鉢を握ったことのある人の経営ですから、私にとってとても良かったです。簡単に言うと、営業を叩き込まれました。
― どのような商品を扱っていたのでしょうか。
母親とやっていた喫茶店にも納めてもらっていたお箸を扱う部門や、高級日用品を扱う部門がありました。商社でしたから、他にも様々な商品を扱っていて、商材を仕入れるために、香港に20回以上も連れて行ってもらいました。年に何回も仕入れに行って、高級日用品や雑貨などを輸入しては、テスト販売をしていました。
今津さんはたたき上げの社長でしたから、「給料はもらうものではなく、稼ぐものなんだ」と、今思えば当たり前のことを、まだ修行中の私に教えてくれて、歩合給で働かせてもらいました。
高級なライターとか、毛皮を扱っていて、母親が銀座のホステスをやっていたことがありましたので、母親に知人を紹介してもらって毛皮を売りに行き、結構成績が良かったんです。いい歩合も貰えましたし、会社も儲かっていました。でも会社経営は、儲かりすぎても上手くいかないんですね。今津さんともう一人の方が共同経営をしていたんですが、今津さんが辞めるという話になったんです。今津さんが辞めるなら、私も辞めてくっついて行こうと思ったんですけれども、今津さんは若い頃から創業していたので、「お前も自分でやってみたらどうだ」と言ってくれて、独立しました。
有限会社ジュエリーワールドエンタープライズという、名前ばかり立派な会社でした。ところが、売り先にホステスさんが多かったので、売り掛けが大きくなってくると管理が出来なくなり、お店を辞めた人の回収ができずに、焦げ付くようになってしまった。営業力だけが支えで、資金繰りのノウハウはなくキャッシュが回らない状態でした。キャッシュがないから仕入れも出来ないし、結局、高利貸しみたいなところにまで行くようになってしまって、気づけば3,000万円の借金を抱え、これ以上会社を続けられないと判断し、会社をたたみました。第1回目は会社ごっこというか、独立して、経営と営業はイコールじゃないということと、いくら売れても経営管理ができなければ会社は成り立たないということを、20代の若いときに経験したんです。
[撮影:大鶴剛志]