現在 0円

インタビューバックナンバー
浜口隆則氏インタビュー
株式会社ビジネスバンクグループ代表取締役であり、『戦わない経営』『社長の仕事』『エレファント・シンドローム』などの著者でもある浜口隆則氏は、起業家向けオフィス「オープンオフィス」を・・・
佐々木俊尚氏インタビュー
『ブログ論壇の誕生』『電子書籍の衝撃』『キュレーションの時代』などの著者である佐々木俊尚氏は、IT業界・メディア業界のビジネス動向や未来像を鋭く分析する気鋭の・・・
永田豊志氏インタビュー
2010年、ASPアワード グランプリを獲得した成長ベンチャー、株式会社ショーケース・ティービーのCOOであり、『図解思考』『最強フレームワーク』などのベストセラー・・・
青木仁志氏インタビュー
1987年、人材教育コンサルティング会社「アチーブメント株式会社」を創業した青木仁志氏は、目標達成のプロフェッショナルとして19年間にわたり・・・
嶋田毅氏インタビュー
株式会社グロービスは、1992年の創業以来、「ヒト」「カネ」「チエ」のビジネスインフラの構築を掲げ、成長発展を続けています。・・・
出井伸之氏インタビュー
1995年4月から10年間に渡って、グローバル企業であるソニー株式会社をはじめとする、ソニーグループを率いてきた出井伸之氏。
渋澤健氏インタビュー
日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の五代目にして、新しい資本主義の在り方を社会に問い、「滴から大河に」を実践する渋澤健氏。
本田直之氏インタビュー
レバレッジシリーズをはじめ、著書累計150万部を超えるベストセラー作家の本田直之氏。
渋澤健氏インタビュー
[更新日2010/05/02]
「次世代に紡ぐ想い。~滴から大河に。渋沢栄一の教え~」第4回
聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎
 日本資本主義の父といわれる渋沢栄一(※1)の五代目にして、新しい資本主義の在り方を社会に問い、「滴から大河に」(※2)を実践する渋澤健氏。30年先を見据えた長期投資を掲げ、2008年9月にコモンズ投信を立ち上げました。次代に向け、渋澤氏は何を思うのか。また、渋沢栄一の「論語と算盤」を読み解いた渋澤氏の経営思想をお聞きしました。
■渋沢栄一の投資手法
―渋沢栄一は合本主義(※18)によって、経営権を支配せずに500の会社を創りました。この投資の考え方などについてお聞きできますでしょうか。
 一つは、資本は支配するためのものではなく、土台づくりのためのものである、という考えを持っている点が挙げられます。みんなのお金を集めて、みんなに富を分配しましょう、ということを考えていました。もう一つは、渋沢栄一はインフラを創ろうとしたということです。なかには投資組合のようなものもあったのですが、500の会社と600の社会事業を創りました。社会事業とは、学校、病院などで、こちらはノンプロフィットだけれども、社会のインフラですよね。
 渋沢栄一の時代は、封建時代から近代社会に入る時期です。過去の常識が非常識になり、過去の非常識が常識になるという、新しい時代への転換期でした。新しい社会の基盤をつくらなければいけない時代だったんです。「自分ひとりじゃできることは限られているから、いろんな人を巻き込んで一緒にやりましょう」というのが渋沢栄一の投資の考え方です。当然、たくさんの人から集めるなら、たくさんの人に還元しなければならない。
 500社を創ったということは、実は、ずっとその会社の株を持っていたわけではないんですね。ある意味、シードキャピタル(※19)だったんです。立ち上げたいときに、お金とか名前とか経営とか必要なことがあれば自分も動いた。会社が立ち上がったときには、自分が経営から退くとか、資本を引いてまた次の会社に入れるということをやっていたんですね。ですから、子孫である我々には何も残らないと(笑)。
■商人としてのDNA
― 渋沢栄一自身の最初の投資資金は、どのようにして作られたのでしょうか。
 栄一が最初に出資したのは、静岡藩の殖産興業を目的とした商法会所を設立したときです。会頭に就任する際に、個人的に倹約して貯めたお金を出資しています。(※20)
 栄一は、埼玉県の深谷市というところの大農家の長男として生まれました。当時の渋沢家では、自分たちでも蚕を飼育していたのですが、農商といいますか、周りの農家から買い入れて、それを売って商売をしていたんです。いい品質のものは高く買って、悪いものは安く買って売っていた。それなりに裕福な家庭に育ちました。
 栄一は子供の頃から、「論語」も含めて学問に触れる機会が多く、知識があったんです。当時は、江戸時代という封建社会の最後の時代で、仕事もしていないのに武士が威張ってばかりいましたので、「幕府はけしからん。腐っている」と尊王攘夷に走ったんです。既存の体制に対して、怒りもあったんですね。
― 徳川家に仕えていたこともありましたが、どのような経緯だったのでしょうか。
 それもたまたまのご縁というか、偶然が重なったんです。尊王攘夷を実践するため、高崎城(現在の群馬県高崎市)の乗っ取りと横浜で外国人を切り払って幕府を倒そうと計画していました。今の時代で考えると信じられないというか、テロリストみたいなことをしようとしていたんですよね(笑)。栄一が武士だったら最後までやってしまうんでしょうけれども、最後の最後で自分が死んだら意味がないと計画の実行を断念したんです。商人だったので、このやり方は合理的ではないなと引き際がわかったんじゃないかと思います。
 それでも、国家の危機を感じて起こした行動の志は変わらず持ち続け、手段を変えようと考えたようです。一橋家に入ったのは、今で言えば勉強会みたいなところに出入りしていて、平岡円四郎という一橋家用人と出会ったことがきっかけです。平岡の勧めで、一橋慶喜が将軍になる前に、一橋家に仕えるようになりました。そうしたら、慶喜が将軍になってしまった。一橋家には栄一の従兄も一緒に仕えていたのですが、「倒幕しようとしていたら幕臣になってしまったとはあり得ない。俺は辞める」と言って、その従兄は一橋家を辞めようとした。でも、栄一の考えには柔軟性がありました。そこが商人らしいというか、外から幕府の体制を変えられなかったけれども、内側から変えられるかもしれないと思ったんですね。
 後に、徳川慶喜の実弟の徳川昭武に随行してパリ万博とヨーロッパ各国を視察して回ったのです。7~8年前には切り払おうと思っていた外国人の世界を目にしたら、「これは使える」と発想を切り替えたわけです。このあたりを見ると、商人としてのDNAのスイッチがオンになっていたんだと思います。
■渋沢栄一と岩崎弥太郎
― 坂本龍馬(※21)とは交流があったのでしょうか。
 いや、なかったみたいですね。
― 岩崎弥太郎(※22)との関係については、どのように捉えていますでしょうか。
 渋沢栄一と岩崎弥太郎は対立していた、とすごくセンセーショナルに捉えられていますけれども、あの当時の人たちは結構ダイナミックだったので、ぶつかりあったり仲良くしたりと色々あったと思うんです。向島で岩崎弥太郎が主宰した宴席に栄一が主賓として招かれたときに、主張がぶつかり、激しい議論になってから対立するようになったと言われているんですけれども、その後、一緒に東京海上保険を創っているんですよ。実際に対立したのは汽船会社でのことです。岩崎の三菱商会に対抗するために、益田孝と三井の資本で共同運輸会社を創って、ダンピング競争を繰り返した。最終的には、共倒れしそうになったので、合同して日本郵船を設立するという流れになったんです。
 経営思想など価値観の違いはあったと思います。岩崎弥太郎は、支配型。「俺がトップをやらなければいかん」というタイプです。一方、渋沢栄一は「みんなで」という思想です。だけど、岩崎弥太郎の2代目や3代目とも交流があって、渋沢栄一の孫の敬三は、岩崎弥太郎の孫と結婚をしています。結婚式の写真を見たことがあるのですが、仲人が弥太郎の息子の久弥だったと記憶しています。その二人の子供の渋沢雅英(4代目の長兄)という、渋沢栄一記念財団の理事長をしている僕の伯父はきわめてレアな人で、渋沢栄一の曾孫かつ岩崎弥太郎の曾孫なんです。
※18 大衆から集めた資金によって会社を設立し、一人の人間が独占しないようにして事業を運営するという渋沢栄一の唱えた資本主義。この考え方に基づき、静岡藩の商法会所に始まり、第一国立銀行(現:みずほ銀行)、東京海上保険、東京株式取引所、日本郵船、東京銀行、日本銀行、足尾銅山、大阪紡績(東洋紡績)、東京瓦斯、帝国ホテル、帝国劇場、札幌ビール、清水建設、東宝など500もの起業・育成に関与した。
※19 事業のシード(種)があり、具体的な事業計画を立案中のベンチャー企業に投資される資金、あるいは立ち上げ直後のベンチャー企業に投資するベンチャーキャピタルやファンドのこと。
※20 渋沢栄一の人生については『小説 渋沢栄一 <上・下>』(津本陽/著、幻冬舎)が参考になる。
※21 坂本龍馬は、亀山社中(後の海援隊)設立、薩長同盟や大政奉還の成立に尽力した幕末の志士。後に三菱を設立する岩崎弥太郎とは、同郷で交流も深かった。坂本龍馬については、坂本龍馬全巻を参照。
※22 岩崎弥太郎 三菱財閥の創業者。「三菱商会」を設立し、海運業をはじめ、財閥を築いた。土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて三菱のマークを作った。渋沢栄一や坂本龍馬と多くの交流があった。
1 | 2 | 次へ≫|
このページのTOPへ
Produced by PE&HR Co., Ltd. (http://www.pehr.jp) [PR] 成長ベンチャーの求人・転職支援サイト