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出井伸之氏インタビュー
[更新日2010/05/11]
「非連続の飛躍 ~ソニーの成長とクオンタムリープの挑戦~」第1回
聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎
 1995年4月から10年間に渡って、グローバル企業であるソニー株式会社をはじめとする、ソニーグループを率いてきた出井伸之氏。CEOを退任後、2006年9月にクオンタムリープ株式会社を設立し、事業創造への仮説や成長機会をグローバルな視点で捉え、日本とアジアの飛躍的な進化を掲げて国際的に活躍されています。インタビューでは、井深大氏や盛田昭夫氏のお話をはじめ、ソニーがどのようにして世界的企業へと発展したのか、トップとしてどのような視点で経営されてきたのか、また日本の未来やクオンタムリープでの取り組みなどについてお聞きしました。
■人生最大の出会い
―出井さんが1960年4月にソニーに入社された当時は、社員数2,000人、年商80億円程の企業だったとのことですが、社会人になる時にどのような視点で企業選びをされたか教えて下さい。
 随分昔の話ですね(笑)。当時、メーカーで、これからヨーロッパで伸びそうなところを選びました。それが唯一のクライテリアでした。大きなところより小さなところにしようと、ちゃんと市場調査もしたんです。父の紹介で会ってもらった東洋経済(株式会社東洋経済新報社)の人に、こういうキーワードの会社はどこでしょうと聞くと、「そりゃあ、東京通信工業(※1)しかない」と言われました。
 今は大きくないけれども、これから伸びそうというカテゴリーで企業を選ぶというのは、現代でも適用すると思います。最近だったらサービス産業かもしれませんが、僕のときはメーカーで、「ものづくり」の会社に行こうと決めていました。
―伊藤忠商事や味の素にも興味を持っていたと書かれていました(※2)が、同じような視点でヨーロッパということだったのでしょうか。
 伊藤忠は魅力的な商社だと思ったのですが、メーカーにいこうと決めていましたので候補から外しました。味の素はヨーロッパで伸びるんじゃないかと思いましたが、もう少しコンシューマーよりの会社の方が良いと思ったので受験をしませんでした。
―『迷いと決断-ソニーと格闘した10年の記録-』の中に、就職活動でソニーを訪問した際、人事部長の樋口晃さんに無理を言って、品川本社まで井深さんに会いに行かれた時のことが書かれていました。その時、社長の井深さんは副社長の盛田さんと机を並べていらしたそうですが、実際にお会いになられた際、お二人にどのような印象を持たれましたか。
 一生懸命アピールしました。こういうクライテリアで選んで、だから使って欲しいということを言いました。そうしたら、二人とも顔を見合わせていました。あとで盛田さんが「ヨーロッパで事業を伸ばしたいって奴が来た」と喜んでくれたという話を聞きました。
 その時に、井深さん、盛田さんに出会ったのが人生最大の出会いでした。井深さん、盛田さんは、戦後に設立された企業で最高の経営者ペアだったわけじゃないですか。お二人に同時に会ったときは、雷に打たれたような印象を受けました。それはもう凄まじい、特別なものを感じました。二人の個性も違うなと感じました。
 面接のあと、井深さんから、明日からいらっしゃいと言われました。当然、早稲田の学生服を着ていたのですが、もうトレーニングだと。大学4年の夏休みを毎日ソニーに通って過ごしました。
―そのときにはお二人のことについて、どういう方々かよくご存知だったのでしょうか。
 あまり知識はなかったですね。井深さんのお嬢さんが成城学園の小学校で同級生だったので、友達のお父さんという感じで会いました。きちんと入社試験を受けたのですが、難しくて全然できなかったので、完全に落ちたと思いました。
―同期入社は何名ぐらいいらしたのですか。
 僕の時代は今思えばバブル期で、300名くらいいました。連帯感があって、今でも同期会を年に1回やっています。40~50名は集まるんじゃないかな。
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※1 後のソニー株式会社。1946年、東京都中央区日本橋の白木屋(現在のCOREDO日本橋)三階に、井深大氏、盛田昭夫氏らによって設立。トランジスタをはじめとする革新的な技術開発に取り組み、ラジオやテレビ等の魅力的な商品を国内外に送り出し、急成長を遂げた。海外売上高比率が高まる中、世界の人々が覚えやすいブランド名を社名にしようと、1958年、ソニーに社名変更をした。なお、同年に東京証券取引所第一部に上場した。
※2 『迷いと決断 -ソニーと格闘した10年の記録-』第1章に出井氏がソニーに就職するときのエピソードが書かれている。
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