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出井伸之氏インタビュー
[更新日2010/05/18]
「非連続の飛躍 ~ソニーの成長とクオンタムリープの挑戦~」第2回
聞き手 / PE&HR株式会社 代表取締役 山本亮二郎
─ 向いていることを伸ばすということは簡単なことではないと思いますが、出井さんはどのようにされてきたのでしょうか。
 そうですね、語学なんかは分かりやすかった。僕はソニーに入った時は英語ができなかったんです。大学では普通の成績でした。英語が必要になれば、日本の教育で文法とか基礎は習っているので、やろうと思えばできるようになると思います。僕は、英語よりフランス語の方が、才能があると気付きました。何故かというと、同じ問題があってもフランス語の方が半分くらいの時間でできたのです。そういう意味で、フランス語の方が才能があると思いました。僕は、普通に話すことができれば十分で、語学が堪能であるかどうかはそんなに気にしないというタイプです。それがフランス語の方が英語より早いって気付くと、ちょっと取り組みが変わるわけです。ドイツ語は、何度も勉強しようとしましたが、駄目でしたね。
 好き嫌いがあって、嫌いなことに時間をかける必要はないし、好きなことさえやっていれば生産性が上がります。ソニーという会社そのものがそうだったのではないでしょうか。いつも好きな商品を出していました。
■世の中が必要としているものを先取りする
─ ソニー銀行、ソネット、フェリカ、VAIOなど多数の新規事業を手がけられ、大きな成果をあげられました。新規事業のポイントについて教えて頂けましたらと思います。
 新規事業以前の話ですが、企業には、必ずたたまないといけない事業があります。僕は、若い頃から社内でそのような再生的な仕事を多くやってきました。オーディオ事業部長(※10)も然りです。整理しながら、新規事業を作っていました。
 その仕事は、再生と言いながら、本当はバリューを作っていかなければならなかったわけです。会社は新陳代謝をしないといけないから、あるものを壊しながら、次を作るということを同時にやらないと駄目です。新規事業に目がいきがちですが、どうやったら既存の事業を整理できるかということも重要です。僕はずっと「整理する」仕事をやってきたのです。出井が来たらその部署に何か問題がある、と言われたこともありました。
 再生をしていると、世の中で何が必要かわかるようになります。ソニー銀行(※11)や盛田さんが好きだった生命保険(※12)もそうでした。日本の社会を見てみると、金融機関は全然個人のために働こうとしていませんでした。そこで、ソニーが個人向けの銀行、損保、生保をやろうという話になったのです。お金持ちがこんなにいるのに、その面倒をみられていない国は日本以外ないぞとみんな思っていた。世の中が必要としている、それがポイントじゃないでしょうか。
 僕は課長時代、よく周りのみんなに会社でちょっと会議をやろうぜって誘っていました。そこで将来どういうビジネスがいいとかブレストをしていたのです。「この新規事業にはこの人が向いているのではないか」とか言っていました。社内でそんな話しをして、全くけしからんことですね(笑)。会社で事業を作ったり壊したり、日本だったらこういうのが向いているとか考えて、「風」を読んでいたのです。
 あと、今は売ってしまいましたけど、ソニープラザ(※13)って有名ですよね。あれを盛田さんがどうして作ったかと言うと、日本が輸出をし過ぎということで起こっていた日米貿易紛争が理由です。当時、盛田さんが、「アメリカで買えるものをどんどん買ってきて店を開こうぜ」というようなことを言ったんです。ソニープラザは、アメリカのドラッグストアの日本版のようなもので、例えば歯磨き100種類とか、アメリカの雑貨をたくさん買ってきました。それでユニークな雑貨屋さんができたのです。盛田さんはそういう色々なことに気がつく人でしたから、面白かったです。
井深氏、盛田氏、岩間氏、大賀氏、出井氏ら歴代ソニー社長が書かれた書籍をはじめ、
ソニー全巻には経営や仕事に生かせる多くの良書が含まれています。
[撮影:大鶴剛志]
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※10 出井氏が事業部長に就任した1979年当時、世間の関心はテレビやビデオに集中していて「オーディオに未来はない」と言われていた。出井氏は世の中の変化を捉え、アナログからデジタルへの転換を図り、半導体の先端技術を導入して、世界初のポータブルCDプレーヤー「D50」を1984年に発売。一気にCDを普及させ、不振を極めていたオーディオ事業部を蘇らせた。
※11 2001年4月に設立したインターネット銀行。サービス名は「MONEYKit」。個人の資産運用の道具を提供すべく様々なサービスを提供している。日経金融機関ランキング2010にて、顧客満足度第1位(4年連続)、インターネット専業銀行において預金残高1兆3,242億円(2009年12月末時点)で第1位。 『ぼくたちは、銀行を作った。-ソニー銀行インサイド・ストーリー』十時裕樹著(集英社インターナショナル、2001年7月)
※12 1979年、米国プルデンシャル生命との合弁により「ソニー・プルーデンシャル生命保険」としてスタートした(営業開始は1981年)。同社の設立より20年以上前に、盛田氏は、米国シカゴで「Prudencial」という超高層ビルを目にしたことからいつか金融機関(銀行か生命保険)を持ちたいと考えるようになった。プルデンシャル生命は、ソニーが発行していたADR(米国預託証券)を通じて、ソニーの大株主となっており、プルデンシャル生命会長のマクノートン氏と盛田氏は旧知の間柄であった。ソニー生命は、専門知識を有した外交員によるコンサルティングセールスを展開し、顧客に合わせた商品をプランニングするという特徴を持つ。「ライフプランナー」は同社の登録商標である。
※13 1966年、銀座ソニービルで営業開始。「ソニプラ」の愛称で親しまれた(現在は『プラザ』に改称)。輸入雑貨店として、当時から20代の女性を中心に人気を博している。2006年、リテール事業を売却し、グループから独立させた。
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