現在 0円
スピードに生きる 技術と正義を両輪にして“世界のホンダ”を創り上げた男が初めて書いた「自伝」と「私の哲学」

スピードに生きる 技術と正義を両輪にして“世界のホンダ”を創り上げた男が初めて書いた「自伝」と「私の哲学」

ISBN-13 978-4-408-39588-3
ISBN 4-408-39588-9
著者名 本田宗一郎/著
出版社 実業之日本社
発行年月日 2006年4月
販売価格(税込) 1,080 円
※現在、お取り扱いできません。

登録するMy全巻を選択してください。(My全巻とは
追加する
この書籍が含まれるグループ

内容・コメント

世界に飛躍する直前の本田宗一郎が、日経「私の履歴書」より以前にまとめていた初の自伝と、本音を洗いざらいぶちまけた迫力満点の経営論、人間論を収めたまぼろしの名著―。生誕100年を期して完全復刊。

目次

第1部 スピードに生きる(ただ一筋に;腕白時代のあれこれ;学校休んで飛行機見物 ほか);第2部 経営とアイデア(わが社の生き方;アイデアを尊重する;パイオニア精神を生かせ ほか);第3部 私の生き方・考え方(製品の美と芸術;贅沢品;寄生虫の話 ほか)

著者のプロフィール

本田 宗一郎 (ホンダ ソウイチロウ) 1906(明治39)年、静岡県磐田郡光明村に生まれる。高等小学校卒業後、自動車修理工としての修業を経て、28(昭和3)年、浜松市にアート商会浜松支店を開く。37年、東海精機工業を設立。終戦翌年の46年、本田技術研究所を創設して二輪車の製造を開始。48年には本田技研工業を設立、社長となる。1961(昭和36)年、自ら研究部門の陣頭指揮をとり、二輪車の世界グランプリレースを制覇。64年、四輪車のF1レースに日本勢として初挑戦。66年には、二輪車グランプリレースで史上初の5種目完全制覇を達成、世界一の二輪車メーカーの地位を不動のものとする。1973(昭和48)年、本田技研工業社長を退任、取締役最高顧問となってその見事な引き際が脚光を浴びる。89(平成元)年、日本人として初めて米国の自動車殿堂入りを果たす。1991(平成3)年8月、逝去。享年84歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

このページのTOPへ

ジャンル一覧

Produced by PE&HR Co., Ltd. (http://www.pehr.jp) [PR] 成長ベンチャーの求人・転職支援サイト