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第1章 まず第一歩を;第2章 得手に帆あげて;第3章 能ある鷹はツメを磨け;第4章 自分のために働け;第5章 幸福な報酬;第6章 私の“宝物”;第7章 時間はすべての生命である;第8章 冗句はアイデアである;第9章 喜びを求めながら生きる;第10章 発明は恋愛と同じ
本田 宗一郎 (ホンダ ソウイチロウ) 1906年(明治39年)、静岡県に生まれる。小学校卒業後、アート商会(東京・自動車修理工場)に入社。1928年、のれん分けして浜松アート商会を設立。自動車修理工として成功するが飽きたらず、東海精機重工業(株)を設立しピストン・リングの製造を行う。1946年、本田技術研究所、1948年、本田技研工業(株)を設立。オートバイ「ドリーム」「スーパーカブ」などを次々に開発。1959年、英国マン島TTレースに初参加。1961年、マン島TTレースで1~5位を独占して完全優勝する。1962年、四輪車に進出。1964年、F1GPに挑戦。1965年、F1メキシコGPで初優勝。1972年、低公害のCVCCエンジン発表。アメリカの排ガス規制法であるマスキー法規制に世界ではじめて合格する。1973年、社長を退任、取締役最高顧問。1989年、日本人として初めてアメリカの自動車殿堂(AHF)入り。1991年、84歳で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)