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自ら熱く語ったモノづくりと発想の原点!不朽の経営論を完全復刻。
歓迎したい悪口二つ;人生は信用とカネの天びん棒;ウサギと企業とお稲荷さん;時間を無視した国づくり;人づくりは「ジョーク」から;「思想」を忘れた最低企業;研究所は博士製造所ではない;市場調査はあてにならない;安ければ売れるか?;「パーキンソンの法則」をこう考える〔ほか〕
本田 宗一郎 (ホンダ ソウイチロウ) 明治39年、浜松に生まれる。小学校卒業後、アート商会に入社。昭和3年、浜松にアート商会浜松支店を設立し、工場主となる。12年、東海精機重工業を設立、ピストンリングの製造を行う。昭和21年、本田技術研究所を設立、内燃機関、機械の研究、製造を開始。23年、本田技研工業設立、社長となる。昭和27年、小型エンジンの発明により藍綬褒章受章。昭和36年自ら研究部門の陣頭指揮をとり、二輪車の世界グランプリレースを制覇。昭和39年、四輪グランプリレースのF・1に挑戦、V型一二気筒一五〇〇ccと我国初のレーサーを完成させる。昭和41年、世界一二ヵ国で競われるグランプリレースで五種目(五〇、一二五、二五〇、三五〇、五〇〇cc)で空前絶後、史上初の完全制覇達成。世界一の二輪車メーカーの地位を不動のものとする。昭和48年、本田技研工業社長退任、取締役最高顧問となる。副社長の藤沢武夫氏と共に、そのさわやかな引退ぶりは脚光を浴びた。平成元年、日本人として初めて米国の自動車殿堂入りをはたす。平成3年8月、逝去。9月に、本社・青山ビルの他五会場で「お礼の会」が催され、延べ六万二千余名が来場した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)