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邪念を振り払い、今この一瞬に最善を尽くす。監督の采配とは、ひと言で言えば、そういうものだと思う。孤独に勝たなければ勝負に勝てない―勝利を引き寄せる66の言葉。
「自分で育つ人」になる(孤独に勝たなければ、勝負に勝てない
向上心より野心を抱け ほか)
勝つということ(「負けない努力」が勝ちにつながる
何でもアメリカ流でいいのか ほか)
どうやって才能を育て、伸ばすのか(ミスは叱らない。だが手抜きは叱る
欠点は、直すよりも武器にする ほか)
本物のリーダーとは(任せるところは、1ミリも残らず任せ切る
気心と信頼は別物 ほか)
常勝チームの作り方(自分で考え、働き、成長させる
自己成長に数値目標は無意味 ほか)
次世代リーダーの見つけ方、育て方(プロフェッショナルは、段階を踏んで育てる
監督の仕事は、選手ではなくコーチの指導 ほか)
1953年生まれ。秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。1979年ドラフト3位でロッテオリオンズ入団。81年打率.326で首位打者になり、以後83年まで3年連続首位打者。82年史上最年少28歳で三冠王を獲得、85年には打率.367、52本塁打、146打点という驚異的な成績で2度目の三冠王とパ・リーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。86年には史上初の3度目、2年連続の三冠王を獲得。通算成績は2236試合、7627打数2371安打、510本塁打、1564打点、65盗塁、打率.311。1998年現役を引退。その後、野球解説者、指導者として活動し、2004年より中日ドラゴンズ監督に就任。就任1年目から1年間の解雇・トレード凍結、一、二軍を振り分けない春季キャンプなどを行ない、チームはいきなりリーグ優勝。2007年にはチームを53年ぶりの日本一に導く。就任から8年間、2年に1回以上はリーグ優勝ないしは日本一、Aクラス入りを逃したこともない。2011年は球団史上初の2年連続リーグ優勝を果たし、「常勝チーム」を作り上げた。2007年には、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる正力松太郎賞を受賞。2011年には競技者として、日本の野球の発展に大きく貢献した功績を永久に讃え、顕彰する「野球殿堂」入りを果たす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)